雨蛙の賦

台湾・嘉義インターンシップ日記

17. 珊瑚潭の風

こんにちは、ゆうです。

 

最近ブログを書こうと思ってもめんどくさくなる理由について考えました。課題特定はですます調です。今後は言文一致で、ですます調をやめていこうと思います。

さて、本日は先週の日曜日にいってきた鳥山頭について書きます。

 

墓石の表に「八田與一・外代樹」とあり、裏に中華民国三十五年と刻まれている。文字どおり、台湾の土になったのである。

年号をみたとき、三四郎の同時代のこの明治人が、確かに台湾の土になっていることを感じた。

司馬遼太郎著 『台湾紀行』より

 

嘉義・台南が位置する、嘉南平野は現在台湾最大の穀倉地帯らしい。しかし、その土地は日本統治時代の前は、不毛の地であった。10年がかりで建設された「鳥山頭ダム」の建設によって、嘉南平野は肥沃な土地に変わった。これは当時世界最大のダムだった。

その難工事を指揮したのが八田與一さんである。現在、鳥山頭ダムのほとりには八田與一さんの銅像や記念室などがある。台湾で一番行きたかったこの場所にようやく行くことができた。

 

鳥山頭ダムには善化駅(台南と嘉義の間)からバスで向かう。時間ちょうどに来たマイクロバスに乗り込んだのは僕1人だった。町から離れて田舎道を1時間ほど向かうと鳥山頭ダムの入口に到着する。鳥山頭の近くに来るにつれて今まで登ってきた道が平坦になった。これもダムの建設場所として選ばれたことと関係があるのだろうか。

入口前の駐車場には車がちらほら停まっていたが、大半の人は車でそのままゲートを越えていく。後で知ったことだが鳥山頭ダムの周りは公園になっており、キャンプ場やプールがある。「鳥山頭水庫」の文字があるゲートで入場料の200元を払い、公園の敷地に入った。

 

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(鳥山頭水庫の入り口)

 

敷地に入ってからまず向かったのは八田さん等の工事の担当者が暮らした住宅の復元がされている場所だ。復元されている建物は4棟ある。八田さんが住んでいた住居は基礎しか残っていなかったので、完全に復元したらしいが、他の住居は修復して復元したらしい。復元前の写真を見て驚いた。ぼろぼろに朽ち果てた家がこんなにきれいに修復されるんだなと感嘆した。

復元されたばかりの住居はきれいすぎて、少し違和感がある。しかし、こういった住居に当時に日本人が暮らしていたのだなと雰囲気はつかむことができた。4棟のうちの1棟は日替わりで中に入ることができる。縁側に腰かけて隣の家の縁側のほうを見やって当時を思った。映画『KANO』の世界だ。

 

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(復元された住宅の1つ)

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(復元前の様子がわかる看板)

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八田與一さん旧宅と妻・外代樹さんの像)

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(八田さん宅の裏手にある台湾をかたどったという池。八田さんは仕事が終わるとよくここを眺めていたらしい。)

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 (公開されていた住宅。一棟に2家族が住んでいたらしい。)

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(内部の様子。)

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(復元住宅の向かいには桜。森元首相の名前が。)

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(お土産屋には八田與一焼酎。)

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(暑さのあまりにアイス。コーヒーはサービス。)

 

次にダムのほとりにたたずむ八田さんの銅像を見に行く。ダムの周りは当然堤防になっているため、階段を上る。

堤防を登ると、ダムが見えた。思わずその大きさに息をのんだ。工学系の人間としてはあるまじきことかもしれないが、とにかくその大きさだけに圧倒された。こんなものを人間は作り出した。それを計画し、遂行した八田さんという人の偉大さを直感せざるを得なかった。

階段を上った先には当時に使われていた機関車が展示されている。その脇で荷物を置いて水筒のお茶を飲んだ。とにかく暑い。最近の台湾は常時35℃が続く。空は快晴で、水分を取らなければ熱中症になりそうだ。

そこから左に少し上ると八田さんの銅像があった。つい最近台湾の反日団体がこの銅像の首を破壊する事件があった影響か、近くには立ち入りができないようになっており、遠くからその銅像を眺め、手を合わせ、目を閉じ、頭を下げた。その銅像が見据える方向を見る。八田さんが10年の月日をかけて築き上げたダムが広がっている

銅像のところにはあとから1組の日本人旅行者がやってきた。九州で農作業をやっているらしく、台湾の暑さも全然問題ないということであった。その人たち以外、日本人の姿をここで見ることはなかった。

 

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 (堤防に続く階段。)

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(実際に土砂の運搬などに使われていた機関車。)

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(八田さんの銅像終戦後も大切に保管され、再びダムのほとりに戻された。)

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(八田さんの見据える鳥山頭ダム。)

 

銅像を後にし、堤防の上を歩く。さえぎることない直射日光が照りつける。とにかく人を圧する雄大さだ。鳥山頭はもともとの山間の土地に水が入り込んで、上から見ると珊瑚のように見えることから、珊瑚潭の別名を持っている。湖の中にところどころ浮かぶ木々が美しい。堤防の柵を越えた先には釣り糸を垂らす人の姿がある。いい風景だ。

堤防の柵に腰かけて、ダムを眺めた。珊瑚潭からのさわやかな風が吹き抜ける。八田さんや、共に工事に携わった日本人や台湾人も、この風を感じていたのだろうと思った。

 

延々と続く堤防をずっと行くと、キャンプ場がメインのエリアにたどり着く。そこから堤防の元をもと来た方向に戻っていくと、工事で出た死者のために建てられた碑や八田與一記念室がある。この道は桜並木で春には桜が咲くらしい。その桜並木には八田さんが日本から取り寄せて植えた桜もあるようだ。

バスの時間も迫ってきたので入口に戻ったが、広い公園なのでなかなか入口にたどり着かない。しかし、逃すと1時間以上待つことになるので必死である。なんとか走って定刻1分遅れでバス停にたどり着いた。バスも少し遅れたため無事バスに乗ることができた。

 

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(鳥山頭ダムの雄大な風景。珊瑚潭の別名がよくわかる湖中に顔を出す木々。)

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(現在の鳥山頭ダムの水門。なお、今はダムとしての機能はより下流曽文渓ダムが主に担っているらしい。完成は1973年だが、この建設地を決めたのも八田さんだった。)

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(水門の反対側は嘉南平野へと続く嘉南大圳の出発点。)

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(桜並木には様々な種類の桜が並ぶ。)

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(工事の犠牲者を祭る殉工碑。八田さんの意向により、日本人・台湾人の区別なく、死去した順に犠牲者の名前が並ぶ。)

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(碑には八田さんが書いた文章が刻まれている。)

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八田與一記念室。最近建てられたようできれい。)

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(旧放水路。ここに終戦後、妻・外代樹さんは身を投げて死去した。八田さんは1942年に乗船した船が沈められ、死去している。)

 

善化駅に着いた後は、ついでに日本統治時代の台南の中心地「新化」の町にバスで行ってきた。バロック様式の建物が立ち並ぶ老街は見事なものである。また古い町だけあって、老街の中ではなくてもとても古そうな建物が現れたりする。

 

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 (善化駅にある空襲避難地図は中国との緊張が強かったころのものだろうか。)

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(新化老街。)

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(老街の一角のレトロな米屋。)

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(風情のある路地。)

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(市役所はカフェに。)

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(新化のレトロな建物。)

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(新化のもっとレトロな建物。)

 

新化から台南に行き、台南では日本人の社長がやっている「Mr. 拉麺」で親子丼を食べてきた。味はまあまあだがリーズナブルでよい。多くの台湾人でにぎわっている。

 

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(おそらく日本統治時代の裁判所。)

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(Mr. 拉麺の親子丼。)

僕はこの日に、日本人が残した大きな足跡を見てきた。台湾には無数の日本人の足跡がある。その中の最も大きな一歩に触れてきた。その一歩一歩は、すべてが、さまざまな形で今につながっているように感じた。

その一歩一歩を感じて、今の台湾に、そして日本に重ね合わせていきたいと思った。

 

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