雨蛙の賦

台湾・嘉義インターンシップ日記

9. 40日目の憂鬱

こんにちは、ゆうです。

 

日付が変わって3/4に来台した私にとって40日が経過したことになりますね。最近あんまり夜すんなり寝られないので、少し今考えていることを書いていこうと思います。まとまりのない話になると思いますので、私個人に興味のある人以外は読む意味はあんまりないと思います。笑

 

最近はというと、SIMカードのリチャージのためのナンバーをなくし、ケータイを落として画面を割り、なぜかラインの友達が全員消えるというケータイ関係のトラブルに見舞われまくっています。笑 だれでしょうか、Androidは落としても割れないとか言ってた人は。Androidのケータイ(の多く)は落としても割れない、もしくは、Androidのケータイ(の一部は)落ちしても割れない、であることを考慮せず鵜呑みにした自分は浅はかです。笑 リチャージは店頭でしかできなくなり、画面も修理をするしかないでしょう。ラインの友達も今最後の悪あがきをしていますがおそらくどうにもならないでしょう。そんなこんなでどことなく憂鬱な気分の今日です。

 

こんなことはどうでもいいのですが言語のことも憂鬱の要因ですね。大学の第二外国語で少しだけ勉強しただけの中国語は全く人の言っていることは理解できませんし、英語すら英語の上手な人と話すと聞き取れない単語を何度も聞き直しています。仕事は日本語でできるからといっても、台湾にいるにも関わらず中国語ができないことは関われる人の数を制限し、親切な人に囲まれていても疎外を感じさせます

思えば私は中学校で初めて英語を習い始めたときに非常に英語が苦手でした。最初に習う数字のような簡単な綴りの単語でさえも何回書いても覚えられず(one, two までは行けてもthreeはもう無理だった)、100点満点のテストが24点だったときもありました。

加えて苦手なものに数学がありました。英語のほうは高校に入ると得意教科になったのですが、数学は相変わらず苦手でした。私の第一志望の大学の数学を5年分解いて1問も解けずに絶望したものでした。

今の中国語に対する悔しさは中学生のときの英語と、高校生のときの数学に感じたあの悔しさと一緒なんだなと気づきました

 

きっと私には言語学習の才能はないのでしょう。全く自分は中国語を理解し、話しているところが想像できません。職場で日本語で話している台湾人を見ているととても同じ人間と思えません。

しかし、かつて5年ほど前に私にとっての英語は同様の遥かな高みにあったのではないかと考えると、できないものと切り捨てることはやはりできません(英語ができるとは言ってない)。

 

何よりつまらない! 

 

どんな国に行ったってきっと指をさして、紙にかいて、なんとか生活することはできるんですよ。でもやっぱりそれだけじゃつまらないなあと感じるんです。

悶々としている自分は振り捨てて、行動を起こしていく時間こそ、今必要なんですね。台湾のアイセックのメンバーに中国語を教えてくれと頼もうと思った、ちょうどそのとき、彼から中国語を教えようかと申し出てくれました。笑 彼には日本語を教えることで見事win-winの関係が成立です。笑

やはりここであっても外部環境は人を変えるきっかけになるなあと感じます。しかしそれと同時に環境が変わっても外部要因の変化がなければ意味もないというのもまたそうだと思います。きっかけはきっかけとして自己意識の変化から行動の変化に結び付けていかなければいけません。

 

あと少しだけ。最近読んでいた石田ゆうすけさんの本でクアラルンプールでは異なる民族は異なる地域に住んでいると書かれていました。これは何で読んだか忘れましたが、多文化共生が進んでいるといわれるパリでは違う民族同士は関わらないということが多文化共生の形として受け止められている聞きました。私の行ったことのあるシンガポールは中国系、インド系の多く住む町、リトル・インディオ、リトル・チャイナを形成していたことも思い出します。

今、私が感じるこの疎外によって、私は異なる国で生まれ、異なる言語を使う人同士で関わることのむずかしさを感じます。しかも、それは必ずしも言語にだけに阻まれる壁ではないと思うのです。

世界中の人が国籍や言語の違いを感じずに入り混じって暮らす桃源郷のような世界は確かに美しいですが、理想の多文化共生の形とは何かを考えています。

 

予告通りぐちゃぐちゃな文章になっていますね。笑

45日目には思考をまとめて、今後の方針をある程度見通し良くしてみせましょう。

 

とりあえず今の憂鬱を多少言葉にしてこのあたりで。

では休日前の金曜日はりきっていきましょう!