雨蛙の賦

台湾・嘉義インターンシップ日記

18. 日本人の台湾への意識

こんにちは、ゆうです。

 

だいぶおひさしぶりです。

最近真面目に中国語やってみようと思って台南の中国語学校に行ってきました。がんばります。

 

最近さぼりがちでしたが、ブログの形で経験や思考を言葉にすることは本来おもしろいものであると思うので、怠惰な心を入れ替えて継続してきます。

今、具体的に書きたいことは3点あります。

今日はそのうちのひとつ、日本人が台湾に対して持っている意識について書いていきたいと思います。

あとの日台関係についてと自分自身についてです。こちらも近いうちにブログの形で文章にしていきたいと思います。

 

 

 

台湾に来て驚かされるのは話に聞いていた以上の台湾人の親日ぶりだ。彼らは日本のことを本当によく知っている。日本のアニメやドラマは台湾で非常に人気があるし、日本の野球中継も行われている。町を歩けばそこら中に日本語の看板が立ち並ぶ。どこに旅行に行っても日本語を話せる人と出会うし、日本人だと言うと、「おー、日本人か!」というようなとても好意的な反応をしてくれる(これは他の国の人にも同じ反応なのかはわからないけど)。ここまで日本の存在感がある国は他にはないのではないかと思わせる

 台湾はかつて日本だった。そのような特別な関係性を持つ場所は日本人にとっては、他に朝鮮・満州樺太しかない。やはり台湾人から感じるこの日本への特別な感情はこのことを外しては考えられない。しかし、このことに関してはまた次回以降で触れていきたい。

 

私が書きたいのは日本人のことである。日本人は台湾について知らない、と切に思う。観光に関しては近年台湾ブームが起こっており、台湾への渡航者は急増している。まだ台湾のサブカルチャーは一般的ではないが、台湾映画の上映もたびたび行われている。しかし、日本人の多くの台湾についての知識は驚くほど乏しいな、と台湾に半年でも暮らしている人間として悲しくなることがある。

 特に、台湾は中国の一部だと思っている人が多いことには本当に驚く。勘違いを防ぐために書くが、私は両岸関係の思想的な肩入れを台湾独立にしたいがために書いているのではない。ただ日本人が、台湾は中国だと間単に口にしていることが悲しいのである。

 国共内戦終結後に国民党政府が台湾に逃げ込んで以来、台湾と中国はお互いに中華民国中華人民共和国として中国全土を領土としているという主張をしている。そのため現在のところ日本を含む多くの国は中華人民共和国との国交を選択し、中華民国が国交を持つ国はわずかに20カ国ほどしかない。この歪な関係は現在も両岸関係として確かに存在している。

 

さて、「台湾は中国である」という発言についてである。この言葉を口にする人に全く悪気はなく、単に台中関係についての知識がないのであろう。しかし、例えば「パレスチナイスラエルである」とか「イスラエルパレスチナである」とかいう発言を安易にすることがあろうか? 私はイスラエルパレスチナの関係について深い知識は持たない。でもそのことについて安易に断定して口にしてはいけないという倫理は持っている。

 しかし、日本人の多くの人がこの程度の台中関係に関する倫理すら持ち合わせていない。繰り返すが、私は台湾独立に肩入れしたいのではない。ただこんなにも近くにあるのに、特別な歴史で結びつけられた場所なのに、日本人がその程度の台湾への関心すら持たないということが、ただただ悲しい。

 

司馬遼太郎さんの『台湾紀行』の中に印象的な一節がある。台湾が日本だったころに日本人と結婚した台湾人の老女が司馬さんにたずねる。

「日本はなぜ台湾をお捨てになったのですか」

これに対して司馬さんは第二次世界大戦後に日本が植民地としての台湾を放棄したことについてか、それとも日中国交正常化に伴う日本と台湾の断行のことについてか逡巡する。黙り込む司馬さんに対して老女はもう一度たずねる。

「日本はなぜ台湾をお捨てになったのですか」

と、大きな瞳を据えていわれた。たずねている気分が、倫理観であることは想像できた。

 

日本人の多くが持つ台湾に対する意識としては、日本は台湾を捨てた、としか言いようがないように感じてしまう。半年間台湾にいて、読んだ当時よりこの一節から受ける痛みは大きくなった。

 

幸いにしてまだ台湾の多くの人々は日本に対して特別な印象も持ってくれているように思う。それでも私が台湾に来てから八田さんの銅像の頭部が破壊されたり、台湾総統府憲兵に対して日本刀で切りつけるといった反日的な事件も起きている。

2カ月前にお話しを伺った台湾在住の日本人の教授が、李登輝さんをはじめとする日本時代を直接知る世代が世を去ったあとの日台関係の再構築の重要性について触れていた。今の日本人の台湾に対する意識では、この特別な関係性はきっと薄れていってしまうのだろうと感じる。「台湾人の日本に対する期待の大きさとその期待に必ずしも日本は答えられていないという現状」とおっしゃっていたが、その言葉はずっと私の頭に残っている。

 

訪台する日本人観光客が増えつつある今を契機にして、もっと台湾について関心を持つ人が増えてくれればうれしい。そしてそういう空気の中から直接に台湾について関わる人々が出てくれば、きっと、もっと特別な関係に日本と台湾は、なれると思うし、なってほしいと思う。そのためにまず身近な人から、台湾のことについて伝えてかなくてはならない、と思う。

次回はその日本と台湾の関係について書いていきたい。

 

 

 

 

 

 

17. 珊瑚潭の風

こんにちは、ゆうです。

 

最近ブログを書こうと思ってもめんどくさくなる理由について考えました。課題特定はですます調です。今後は言文一致で、ですます調をやめていこうと思います。

さて、本日は先週の日曜日にいってきた鳥山頭について書きます。

 

墓石の表に「八田與一・外代樹」とあり、裏に中華民国三十五年と刻まれている。文字どおり、台湾の土になったのである。

年号をみたとき、三四郎の同時代のこの明治人が、確かに台湾の土になっていることを感じた。

司馬遼太郎著 『台湾紀行』より

 

嘉義・台南が位置する、嘉南平野は現在台湾最大の穀倉地帯らしい。しかし、その土地は日本統治時代の前は、不毛の地であった。10年がかりで建設された「鳥山頭ダム」の建設によって、嘉南平野は肥沃な土地に変わった。これは当時世界最大のダムだった。

その難工事を指揮したのが八田與一さんである。現在、鳥山頭ダムのほとりには八田與一さんの銅像や記念室などがある。台湾で一番行きたかったこの場所にようやく行くことができた。

 

鳥山頭ダムには善化駅(台南と嘉義の間)からバスで向かう。時間ちょうどに来たマイクロバスに乗り込んだのは僕1人だった。町から離れて田舎道を1時間ほど向かうと鳥山頭ダムの入口に到着する。鳥山頭の近くに来るにつれて今まで登ってきた道が平坦になった。これもダムの建設場所として選ばれたことと関係があるのだろうか。

入口前の駐車場には車がちらほら停まっていたが、大半の人は車でそのままゲートを越えていく。後で知ったことだが鳥山頭ダムの周りは公園になっており、キャンプ場やプールがある。「鳥山頭水庫」の文字があるゲートで入場料の200元を払い、公園の敷地に入った。

 

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(鳥山頭水庫の入り口)

 

敷地に入ってからまず向かったのは八田さん等の工事の担当者が暮らした住宅の復元がされている場所だ。復元されている建物は4棟ある。八田さんが住んでいた住居は基礎しか残っていなかったので、完全に復元したらしいが、他の住居は修復して復元したらしい。復元前の写真を見て驚いた。ぼろぼろに朽ち果てた家がこんなにきれいに修復されるんだなと感嘆した。

復元されたばかりの住居はきれいすぎて、少し違和感がある。しかし、こういった住居に当時に日本人が暮らしていたのだなと雰囲気はつかむことができた。4棟のうちの1棟は日替わりで中に入ることができる。縁側に腰かけて隣の家の縁側のほうを見やって当時を思った。映画『KANO』の世界だ。

 

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(復元された住宅の1つ)

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(復元前の様子がわかる看板)

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八田與一さん旧宅と妻・外代樹さんの像)

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(八田さん宅の裏手にある台湾をかたどったという池。八田さんは仕事が終わるとよくここを眺めていたらしい。)

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 (公開されていた住宅。一棟に2家族が住んでいたらしい。)

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(内部の様子。)

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(復元住宅の向かいには桜。森元首相の名前が。)

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(お土産屋には八田與一焼酎。)

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(暑さのあまりにアイス。コーヒーはサービス。)

 

次にダムのほとりにたたずむ八田さんの銅像を見に行く。ダムの周りは当然堤防になっているため、階段を上る。

堤防を登ると、ダムが見えた。思わずその大きさに息をのんだ。工学系の人間としてはあるまじきことかもしれないが、とにかくその大きさだけに圧倒された。こんなものを人間は作り出した。それを計画し、遂行した八田さんという人の偉大さを直感せざるを得なかった。

階段を上った先には当時に使われていた機関車が展示されている。その脇で荷物を置いて水筒のお茶を飲んだ。とにかく暑い。最近の台湾は常時35℃が続く。空は快晴で、水分を取らなければ熱中症になりそうだ。

そこから左に少し上ると八田さんの銅像があった。つい最近台湾の反日団体がこの銅像の首を破壊する事件があった影響か、近くには立ち入りができないようになっており、遠くからその銅像を眺め、手を合わせ、目を閉じ、頭を下げた。その銅像が見据える方向を見る。八田さんが10年の月日をかけて築き上げたダムが広がっている

銅像のところにはあとから1組の日本人旅行者がやってきた。九州で農作業をやっているらしく、台湾の暑さも全然問題ないということであった。その人たち以外、日本人の姿をここで見ることはなかった。

 

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 (堤防に続く階段。)

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(実際に土砂の運搬などに使われていた機関車。)

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(八田さんの銅像終戦後も大切に保管され、再びダムのほとりに戻された。)

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(八田さんの見据える鳥山頭ダム。)

 

銅像を後にし、堤防の上を歩く。さえぎることない直射日光が照りつける。とにかく人を圧する雄大さだ。鳥山頭はもともとの山間の土地に水が入り込んで、上から見ると珊瑚のように見えることから、珊瑚潭の別名を持っている。湖の中にところどころ浮かぶ木々が美しい。堤防の柵を越えた先には釣り糸を垂らす人の姿がある。いい風景だ。

堤防の柵に腰かけて、ダムを眺めた。珊瑚潭からのさわやかな風が吹き抜ける。八田さんや、共に工事に携わった日本人や台湾人も、この風を感じていたのだろうと思った。

 

延々と続く堤防をずっと行くと、キャンプ場がメインのエリアにたどり着く。そこから堤防の元をもと来た方向に戻っていくと、工事で出た死者のために建てられた碑や八田與一記念室がある。この道は桜並木で春には桜が咲くらしい。その桜並木には八田さんが日本から取り寄せて植えた桜もあるようだ。

バスの時間も迫ってきたので入口に戻ったが、広い公園なのでなかなか入口にたどり着かない。しかし、逃すと1時間以上待つことになるので必死である。なんとか走って定刻1分遅れでバス停にたどり着いた。バスも少し遅れたため無事バスに乗ることができた。

 

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(鳥山頭ダムの雄大な風景。珊瑚潭の別名がよくわかる湖中に顔を出す木々。)

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(現在の鳥山頭ダムの水門。なお、今はダムとしての機能はより下流曽文渓ダムが主に担っているらしい。完成は1973年だが、この建設地を決めたのも八田さんだった。)

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(水門の反対側は嘉南平野へと続く嘉南大圳の出発点。)

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(桜並木には様々な種類の桜が並ぶ。)

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(工事の犠牲者を祭る殉工碑。八田さんの意向により、日本人・台湾人の区別なく、死去した順に犠牲者の名前が並ぶ。)

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(碑には八田さんが書いた文章が刻まれている。)

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八田與一記念室。最近建てられたようできれい。)

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(旧放水路。ここに終戦後、妻・外代樹さんは身を投げて死去した。八田さんは1942年に乗船した船が沈められ、死去している。)

 

善化駅に着いた後は、ついでに日本統治時代の台南の中心地「新化」の町にバスで行ってきた。バロック様式の建物が立ち並ぶ老街は見事なものである。また古い町だけあって、老街の中ではなくてもとても古そうな建物が現れたりする。

 

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 (善化駅にある空襲避難地図は中国との緊張が強かったころのものだろうか。)

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(新化老街。)

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(老街の一角のレトロな米屋。)

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(風情のある路地。)

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(市役所はカフェに。)

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(新化のレトロな建物。)

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(新化のもっとレトロな建物。)

 

新化から台南に行き、台南では日本人の社長がやっている「Mr. 拉麺」で親子丼を食べてきた。味はまあまあだがリーズナブルでよい。多くの台湾人でにぎわっている。

 

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(おそらく日本統治時代の裁判所。)

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(Mr. 拉麺の親子丼。)

僕はこの日に、日本人が残した大きな足跡を見てきた。台湾には無数の日本人の足跡がある。その中の最も大きな一歩に触れてきた。その一歩一歩は、すべてが、さまざまな形で今につながっているように感じた。

その一歩一歩を感じて、今の台湾に、そして日本に重ね合わせていきたいと思った。

 

16. 芒果楽園

こんにちは、ゆうです。

 

台湾は最近日中35度近くまで温度があがってめちゃくちゃあついです。しかしまだ7月だからもう少しあがるらしいです。耐えられません。もうすぐ台風の季節になるそうで注意が必要ですね。

 

さて、前回書いた通りに一週間前に台湾マンゴーフェスティバルhttp://mango.farm.com.tw/index.php?lang=jp)に行ってきたのでその模様について書いていきます。

URLには日本語もありますが、「千人が文字を作るイベント」、「マンゴーBrunch軽食アイディアコンテスト」、「マンゴーピカソ」...

直球日本語訳とよくわからないイベントが並んでおります。

会場は台南市にある走馬瀬農場という場所で開催されるので会社の同僚とその弟と一緒に車で向かいます。

 

会場についたのは朝10時。すでに強い日差しが照りつけています。

駐車場から開会式やマンゴーの直売が行われている会場まで歩くだけでもう暑いです。開会式のスピーチはもちろん何をいってるかはわかりませんが、連れて行った人の話によると、マンゴーフェスティバルはマンゴーの輸入業者にとって見本市の役割もあるため各国から人が来ているみたいなことを言っていたそうです。

しかし特に聞いていても仕方ないし、何より露天で暑いので近くの建物に避難します。近くの建物にはおみやげものの販売や台湾原住民についての展示をしていました。

そこから少し歩いてマンゴーの品種や栽培方法についての展示を見たり、昆虫の標本館を見たりしていましたが、なんとも盛り上がりにかけます。

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(開会式の様子。)

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(各団体での露店でのマンゴーなどの販売ブース。暑い。)

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(マンゴー無料試食に並ぶ人々。無料と食欲は暑さをも超える。私たちは暑すぎるとスルー。)

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(牧場の中を歩く牛車。同僚によると子供のときは祖父母の家では牛車を使っていたらしい。)

 

マンゴーかき氷を食べたいと話していたのですが会場内のお店は露店なので、クーラーの聞いたところで食べたいということで、会場を出て、マンゴー栽培の町「玉井」に向かうことにしました。

玉井ではマンゴーかき氷を食べるほかにマンゴー市場にも行きます。

 

まずマンゴーかき氷のお店です。

地元の農協がやっているお店らしく、マンゴースイーツの他にふつうの食べ物もあります。11時にくらいについたのですが、かなり混んでいて昼食がくるまでにかなり時間がかかった上にオーダーが間違っていました。笑

そして昼食を取り終えてから、待ちに待ったマンゴーです。「マンゴーかき氷」、「マンゴーアイス」、「マンゴーパフェ」...

まさにマンゴー尽くしの中に「芒果楽園」というメニューがあったので何か聞いてみると、生のマンゴーを切ったものらしいです。

結局「芒果楽園」、「マンゴーパフェ」、「マンゴービール」を頼みました。まだあんまり甘くなってないマンゴーとのことですが、私には充分甘く感じました(後で家で熟したマンゴーを食べてその意味がわかる)。

 

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(お店の写真。かなり繁盛していた。)

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(芒果楽園。緑色のものはマンゴーピクルスでかなりすっぱい。)

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(マンゴービール。マンゴーのすりおろしが入っている。)

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(マンゴーパフェ。)

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(メニューはマンゴー尽くし。)

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(かき氷屋さんの隣ではマンゴーの箱詰め作業。)

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(箱に並べられたマンゴーを販売。)

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(箱による玉井の文字。)

 

そのあとはマンゴー市場です。

市場の中に入ると一面、マンゴーだらけです。ここは見ているだけでわくわくします。なんといってもマンゴーをはじめパイナップル、ライチなどフルーツの山です。同僚兄弟はここで山もりのマンゴーを買っていっぱい食べることが目的の1つだったらしく、マンゴーを1かご買っていました。

マンゴー市場を楽しんでから帰路につき、マンゴーを分けてもらいました。ふつうのマンゴーとふつうのマンゴーの二倍くらいのある黄色いマンゴーです(写真がない! )。

大きなマンゴーは品種が違い、ふつうのマンゴーよりしっとりした感じで、マイルドな甘さがします。私はこちらのほうが好みでした。

 

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(マンゴー、マンゴー、マンゴー。マンゴー好きは歓喜の瞬間。)

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(マンゴー以外のフルーツも。)

玉井はマンゴーを使っての地方活性化を行っているようで、農協のやっているかき氷屋さんもその1つのようです。マンゴーを求めて人々が集まる玉井には確かな活気を感じました。マンゴーフェスティバルにももう少しがんばってほしいところです。笑 (後日調べるとマンゴーケーキコンテストなどの催しもやっていたらしい。)

 

以上「芒果楽園」玉井についての紹介いたしました。

もう7月ですね。台湾は相変わらず35℃くらいの猛暑ですが、きっと日本もそろそろ本格的な夏になるのでしょうね。

来る前は寒いの嫌いだから熱帯は天国だと思っていましたが、この暑さがまだあと3,4か月あると考えると、もう熱帯には住みたくありません。笑

ではまた!

 

15. 表現者としての小説家と登山家

こんにちは、ゆうです。

 

だいぶお久しぶりになりますね。最近はどんなことをしているのかというと、台北まで日台関係を研究している日本人教授にお会いしに行って、東アジア情勢や台湾政治についてお話をうかがったりしていました。絶妙な均衡上にある両岸関係から国際政治のダイナミズムや欲望渦巻く台湾政治から濃密な人間関係に触れ、エキサイティングな時間でした。

また仕事では社内唯一の日本語話者として重要な案件のテレアポに成功し、上司が出張に行ったため、商談の相談を直接社長としなければならず、緊張でおなかが痛い日を過ごしていました。人生のどこで役に立つかわからないのでテレアポ力は鍛えておくべきです。久しぶりですごい下手なテレアポでしたが。

 

久しぶりなのにも関わらず台湾とも仕事とも全然関係ないことを書きます。でも、きっと”働く”ということを考えるにあたって、いつかつながっていくでしょう。

最近はKindleで『村上さんのところ』という村上春樹さんが読者から寄せられた様々な質問に回答していくという本を読んでいます。すべてで3000通を越える質問があり、読んでも読んでも残りが減らない大変ありがたい(?)本です。

その回答の1つにとても驚かされたことがありました。

作品を執筆する際に「このメッセージ」を伝えたいことを明確にしてからとりかかるのかという質問に対して、

とくに意図ってないんですよね。最初なにかの断片があって、それがちょっとずつ僕の中で膨らんでいって、そのうちに物語になっていきます。すごく自然に。テーマもメッセージも、そういうものはとくにありません。あるのかもしれないけど、僕にはわからない。僕はただ文章を使って話を書いているだけです。お役に立てなくて申し訳ないですが。」

(『村上さんのところ』より)

 村上春樹さんの本を読むと、美しい文章の裏に何か必ず伝えたいことがあるのだと思っていました。しかし、そこに込められている意図というのは村上さんにとってはなかったのだといういうことは私を驚かせました。村上さんは自分の小説を総体として読んでほしいということもおっしゃっていました。

つまり村上さんにとって社会に表現したいことは誰にでもわかるように言語化されたものではなく、(言語化されてはいるが)小説そのものであるということになります

 

またこれは最近読み終えた本で宮城公博さんの『外道クライマー』という解説を、私の好きな角幡雄介さんがされていました。

この解説には登山には強い美しいラインを示す表現的性格があるということと、登山一般には反社会性を内包しているということを踏まえて、宮城さんらの起こした那智の滝登攀事件は社会に反社会性を内在させている登山というものを社会に対して強く示した、というように書かれていました。

「登りたいから登る。誰も登っていないから登る。そこに自由がある。この道徳律は登山的観点からすると完璧で、一分のスキもない。(中略)たぶん宮城君は、こうした反社会性を内在させたむき出しの登山的道徳律を社会に対してぶつけてみたかったのではないか。」

(『外道クライマー』の解説より)

 

小説を書くということも那智の滝を登るということも自己を表現する手段になりえます。それは音楽も絵画もスポーツも何もかもがそうです。もっと一般的な仕事においてもきっとそうです。

自分自身の”働く”行為にも自己表現は内在されています。そしてそれは簡単に言語として表現することができない総体としての自己の表現なのではないかと思うのです。

言語化するという行為が非線形なものを言語というツールによって自分にも他者にも伝わる形で線形化するという行為であるのなら、そこには線形近似された際に必ず切り出されるものがあります。しかしそれを言語以外の手段で表に出すことよってより総体としての自己を表現できるということを考えます。

 

ここまで書いてきたわかったことは自分は迷子状態にあるということだけでした。考えはまとまるどころが混迷の様相を呈しています。しかし自分について考えることはおもしろいものです。思いっきり迷えるこの時間をとても幸せなものに感じています

 

土曜日は会社の人にマンゴーフェスティバルに連れてってもらうので久しぶりに台湾らしいことを書きたいと思います。笑 お楽しみに!

 

 

14. 台湾横断計画の顛末

こんにちは、ゆうです。

 

今日までの4連休の間はずっと雨でした。3泊ともドミトリー形式のホステルに泊まっていたのですが、エアコンの設定温度を19℃とか21℃にする人の環境意識を問いただしたい。毎朝震える朝を迎えていました。

 

4連休の計画は「台湾横断計画」です。

台湾は南北に走る4000m級の山をかかえる中央山脈によって東西に分けられています。そのため東側に行くには北から回るか南から回るかしかないのかと思っていましたが、なんとバスで真ん中を横断することができるようなのです。

台中県の豊原9:10発のバスで15:00に梨山に到着。次の日に梨山を15:00にでるバスに乗り3時間で東海岸の花蓮に着くことが可能です。これをやってみようと思い、私は土曜日の朝5時に家を出ました。

 

そもそものきっかけは地球の歩き方でした。連休中どこいこうかなと考えながら、ぱらぱらと見ていたら梨山のページで目が留まりました。1ページしか掲載はないのですが、果物とお茶が有名なところだそうです。

全く理由はないのですが、私はこれを見た瞬間にすごく心が惹かれたのです。

そしてアクセス情報見ると、台中から、あるいは、花蓮・宜蘭からバスと書いてあります。梨山は台湾中央付近の山中にあるので、つまりこれは西から東にど真ん中を通過できることになります。しかも帰りのバスは台湾の有名な景勝地「太魯閣峡谷」を通過します。

そして私の連休の計画は台中→梨山→花蓮の台湾横断に決定したのです。

 

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(心をわしづかみにされた梨山のページ。)

 

豊原9:10のバスに乗るためには嘉義を6:10発の電車、その電車に乗るためには家を5時前後にでる必要があります。

いざ土曜日。無事に5時に起きてすぐ家をでました。これで間に合うなと思いながら、自転車を漕ぎながら、銀行のカードの暗証番号を確認することを忘れたことを思い出しました。

 

先日キャッシュカードをなくしたので、新しいカードに交換してもらったので暗証番号がデフォルトで設定されているのです。それをまだ変更できていなかったので、前の晩に見て暗記して、また朝確認しておこうと思っていたのです。

嫌な予感がしましたが、たぶん覚えている番号であっているだろうと思い、戻ると梨山行のバスに乗ることができなくなるのでそのまま駅につきました。

 

駅についてATMにカードを入れます。暗証番号を入力...

はじかれました。

 

焦って、少し違う番号をさらに2回入力しました。

ロックかかりました。

 

しかたないので持っているデビットカードで海外引き出しができるので、5,000元(日本円20,000円ほど)おろそうと入れて、

残高不足でした。

 

1,000元しかおろすことができず、全財産は1,500元ほどしかありません。絶望的な気分でとりあえず電車に乗り込みます。

そこで必死どうするか考えます。

①ロックを外す方法を探す

②日本の自分の口座にお金を入れてもらう

③台中で両替できるところを探して次の電車で豊原にいく

 

まず①は直接銀行に行かねばならないようで真っ先に却下です。次に②は良い方法に思えましたが、私のカード・通帳を持っている親が起きていなくてはならず、梨山でVISAに対応しているATMがなかったらどうにもならなくなる可能性を秘めています。

③は日本円を持っていたので素晴らしい方法のように思えましたが、台湾には外貨両替をできるところがそんなにありません。しかも朝早くだったのでこれもかなり調べて断念しました。

1,500元では行きのバス代とホテル代しか払えず、クレジットカードが使えなくては梨山から出られなくなります。

 

電車の中で逡巡し、クレジットカードが確実に使える新幹線に乗ってとりあえず台北に向かいその中で今後の予定を立てることにしました。

「台湾横断計画」は開始3時間ほどで潰えたのです

 

結果的には「宜蘭」→「花蓮」→「太魯閣峡谷」→「台北という平凡な台湾北東部の旅となりました。旅行中のほとんどが雨で出発時の自分の不注意とあいまって暗い気分でしたが、それを溶かしていったのは台湾の人や食、景色でした。

同じように台湾をバスで横断した人の記事も読まないようにして、地球の歩き方で心をわしづかみにされた梨山を楽しみにしていたのですが、次回に先送りです...

 

また、詳しく紹介しますが、今回いった場所を簡単に。

 

■宜蘭

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(宜蘭の駅はおしゃれなデザイン。)

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(旅行中の食事の白眉。十六崁瓜仔雞麵のワンタン。)

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(宜蘭にもある日本統治の記憶。)

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(電車で逆走するハプニングの結果降り立った頭城。)

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(頭城駅前には葱油餅の屋台。前にならんでいたおばさんが代わりに注文してくれた。)

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(頭城老街。ここでも雨。)

 

■花蓮

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(花蓮の美崙渓付近は日本統治時代の建物が多く並ぶ。修復が終わっておらず朽ちかけた日本家屋に月日を感じる。)

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(日本軍のものだった建物。様々な変遷をへて、今は観光施設となっている。)

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(花蓮の人文についての展示館。中国語しかわからないおばさんが熱心に中を紹介してくれるが言ってることはわからない。)

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(花蓮の東大門夜市は雨でもたくさんの人。私にとって暫定台湾ナンバーワン夜市。)

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(花蓮は美食の町。有名店にたくさんの人が並ぶ。)

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(花蓮の名物、扁食。扁食とはワンタンのこと。)

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(花蓮の小籠包はふかふかで小さい肉まん。)

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(かき氷の中にはタピオカが入っている個性的なかき氷。)

 

■太魯閣峡谷

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(切り立った崖のわきを登ること1時間ほどで太魯閣観光の中心地天祥に到着。ここのごはんは正直微妙だった。)

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(天祥の景色。)

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(天祥から1つ戻って緑水。1時間ほどトレッキングコースを歩く。)

 

台北

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台北駅中で三田製麺所を見つけてついつい食べてしまった。)

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(泊まったホテルは饒河街夜市の近く。せまい道にたくさんの人。私は嘉義や花蓮の広い夜市のほうが好み。)

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(次の日は台北郊外のウーロン茶の産地猫空へ。)

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(ロープウェイで行きます。)

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(猫空到着。ここでずっと雨だった旅中の最後にふさわしい大雨が降ることはまだ知らない。)

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(猫空はお茶の産地。景色の良いところに茶芸館が立ち並ぶ。)

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(適当に入ったお店の猫空鉄観音。飲んでいるときに外は土砂降りに。)

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(帰りは新幹線で駅弁を食べながら。)

 

以上になります!

詳しくはまた機会があれば書いていきたいと思います。

 

今週は土曜日まで仕事がありますので、今日は早く寝て旅の疲れを癒したいと思います。

それではまた!

13. 主観と客観

こんにちは、ゆうです。

 

少しお久しぶりになりますね。台湾は梅雨に近づいているようで雨がよくふります。今までさっぱりふらなかったのに。

 

ここ数日「主観」と「客観」にということを少し考えているので、そのことについて書いていきます。というのも、ぼんやり考えているだけでなかなか思考が進展しないので、書きながら少しずつ掘り下げていきたいと思うのです。

 

私は昔から「自分が嫌い」とか「自分に自信がない」とかいう感情がよくわかりません。極論言うと、そんなに自分が嫌いで、自信がないならなぜ生きているのだろうとすら思っています。

このときの発言は主観的で自分を客観視すればそれなりに自分の優れているところとか好きなところとか見つかるんじゃないかなあと私は考えています。

少し具体例を挙げていきましょう。2つの例は経験に即しています。

 

①地元のこと

私の地元は東京都の川向いに位置するthe ベッドタウンです。多くの人口を抱え、マンションが立ち並んでいます。この地元なのですが、周囲の多くの人がここは田舎だ、と発言するのです。1時間もかからずに東京都心に行けて、人口が50万人近くのこの市のどこが田舎なのか?

 

②高校のこと

私が通っていた高校は学区の2番目の偏差値60前後のそこそこの進学高でした。確かにすごく賢いわけでないけど、ここでもみんな僕たちはバカだというわけです。おいおい、偏差値60は上から16%だぞ、何を言ってるんだとと思ってしまいます。

 

こういったことに疑問を持ちながら、私は自分を客観視することにつとめてきました。私の地元はそこそこ都会だし、私の高校はそこそこ頭がいいぞ、と。対してなんて周囲の人間はなんて主観的に物事を決めつけているのかと思っていたのです。

同様に自分自信についても客観的に考えるくせがついていきました。私は「自分好きでしょー」とか言われるのですが、それは間違っているとはいいませんが、自分を客観視した結果、自分に優れている点と優れていない点があるということを認識しているだけにすぎません。

 

とここまでで話は終わりそうですが、そうではありません。

客観的に何らかの軸に沿って他者に自分を対置する行為は、自己を主観的に認識することを前提しないといけないのではないか? とすれば、今まで私が客観的・主観的と2分してきた思考は何を意味しているのかということが頭にぼんやり引っかかっているのです。

もう少しわかりやすくいうと、自分を他者と比べて評価することが客観的であるというのあれば、比較のためにはまず自分を主観的に評価する必要があるのではないかということです。

 

主観と客観という軸を問い直してみましょうか。主観が主体者として自己を見ることであり、客観が客体者として自己を見るものでであるとするならば、相対観、相対者いわば隣から自己を見るというものを導入してみましょう

さてこの相対観を用いてみると、相対観の繰り返しの中で主観と客観は両立し得るというのが今の思いつきです。

自分と誰かを比べること(相対観)を繰り返すことによって、自己の感覚(主観)と自己の評価(客観)は一致してくるのではないかと思うのです。

 

小学生のとき多くの子供(特に男の子)がスポーツ選手を夢見ます。しかし、年齢に重ねるにつれて自分の能力に対してどこかで諦めを感じいくことが大半ですよね。それは自分の運動能力を周囲の人と比べることによって、主観的に感じていた自分と客観が一致してくるプロセスによっておこるのではないかということが言いたいのです。

 

と、同時に相対観を繰り返すプロセスの中で自信も同時に深まっていくと思うのです。相対観によって客観的な自己と主観的な自己の一致に近づけば近づくほど自己に対する疑いの余地は減っていくのではないか...

つまりそれは日本人の自己に対する自信のなさは相対観、同質的でない他者とのふれあいの少なさに起因するのではないか...

しかし日本の教育ははっきり順位を決めて相対化する気もするし、他人の目を気にしがちな日本人は相対化を繰り替えしている気もする...

 

つらつら書いていきましたが、まだまだ私は主観と客観の森の中でさまよっておりますぼんやりと考えていることをあるとっかかりによって少しずつ解き明かしていくことはおもしろいものです。その分頭が疲れますが。

 

最近特に何も書いていなかったので書いてみましたがいかがでしょうか。笑

この地で感じたことに何かのとっかかりを用いて、1つでも多く分け入っていけたいものです、と忘れてしまいそうになる思いを改めて認識します。

 

台湾では土曜日から4連休です。

見たもの、感じたことを言葉にすることでまたおもしろい思考に出会れば幸いです。

日本も暑くなってきたと聞きました。

季節の変わり目に体調は崩されないようにみなさまご自愛ください。

それではまた。

12. 2カ月経ちました

こんにちは、ゆうです。

 

最近、近所のセブンイレブンのバイトのお兄さんに映画に連れていってもらいました。「Dangal(台題:我和我的冠軍女兒)」というインド映画を見たのですが、英語字幕が小さくセリフ半分くらいしかわからなかったですが、いい映画だったのでみなさん見てください。

 

すでに台湾に来てから2カ月が経ちました。早いもので残すところはもう10カ月くらいですね。非日常に感じていた空間がだんだん日常に感じてきます。大学生になり一人暮らしを始めたときもそうだったのかもしれませんが。

 

最近では顧客開拓のためにメールを送ったり、情報を収集したりしています。インターン先を探すときには「日本人である」ということ以外にただの学生に特に会社に大して貢献できることはないと考えていましたが、逆に考えると日本人であるというだけでただの学生が会社に多少なりとも貢献できるという考えかたにもなるんだなと最近考えています。

私が働いているのはメーカーなので、普段意識する以上に国境というものは確かに存在しているのだと感じます。出荷のためには様々な書類を書かなくてはならず、とりあえずテレアポして、営業行ってということもできません。国という境界は言語や意識、距離で思ったよりも明確に隔てられています。

 

台湾人というのは本当に人とのつながりを大切にするなと感じます。火鍋やボウリングに連れて行ってくれた近所の食堂の店主家族や映画に連れて行ってくれるセブンイレブンのお兄さんや飲みに連れて行ってくれた同僚から、さらに高校の同級生と15人くらいと旅行に行く人やおそらく60歳に近くなっても高校のときの同級生とカフェでお茶をするおばさん達からそれを感じます。

感覚的な話になりますが、台湾人は日本人より幸せそうな人が多いです。その原因は一つは人間関係にあるのではないかと思います。幸福を感じる要因は人によってさまざまです。しかし、周囲の人、家族や友達という身近なコミュニティに感じる心地よさはきっと多くの人が共有してもつ幸福感の源なのではないでしょうか。

台湾はいいところだ、と強く思います。旅行で来るのとはまた違う、長くこの地にいるからこそそう強く感じます。

台湾人は別に特別にフレンドリーなわけではありません。初対面では日本人同様に微笑んで会釈をかわします。しかし、時間が経ち、会う回数を重ねていくうちに、彼らの親切さは度合いを増していきます。そして私は彼らに受け入れられていくと感じます。それは言葉が通じなくてもそうです。一緒にいる心地よさは言語によるものではありません。ただ、受け入れるという意識だけが必要なものなのではないかと思います。

しかし、言語が通じないと知ることはできません。私は高野秀行さんの本がとても好きで台湾に来てからKindleをつかってたくさん読んでいます。辺境ライターの高野さんは、言語オタクで現地の人と現地語で話すことがとても好きだそうです。言語によるコミュケーションは知識を与えてくれます。私は多くの台湾人について深く知ることや彼らから知識を得ることはやはりできません。

 

絶対的なものを大事にしたいと前から考えていました。人と比べてではなくて自分がどうかという尺度で物事を測っていきたい。人の幸福の感じ方は人それぞれであると先ほど書きました。世間のなんでもない暮らしをしている人の中にも本当に幸福な人はたくさんいるように、ここにきて強く感じます。

自分が心から何を欲しているのかを理解すれば、それを満たすことで人は幸福になれると思います。もちろんそれは何もしなくていいわけではありません。自分の欲すものを得るための努力はする必要はあります。しかし、相対的な尺度で物事を見るとき、その努力は自らの幸福と関係ない方向へとむかっていく危険性を持ちます。

「自分がわからない」と、人は良く言います。確かに自分という存在はよくわかりません。それでも自分以上にわかるものがこの世界中にあるのかと考えると、おそらく自分以上に私が理解できるものはないということは自明であるように思えるのです。

自分という非線形な存在は誰にも完全な把握することはできません。かつ時々によって揺れ動きます。そのあいまいな存在を理解するためには自分以外との関係の中に無数の試行を繰り返していく作業が必要であると思います。未知のものと触れたときのときめきが、好きなものに触れたときのやすらぎが、怖いものに触れたときの躊躇が、嫌いなものに触れたときの嫌悪が、そういったすべての感情が自分というあいまいな存在の輪郭をすこしづつあらわにしていくでのはないか。

 

人には生物としての根源的な感情があると思います。死への恐怖はその1つだと思います。人は自らが死ぬことにも、他者が死ぬことにも根源的な恐怖を感じます。しかし、その恐怖すら乗り越えてきた人というのはたくさんいたのですね。自分の大切なものを守るために死への恐怖すら乗り越えることが人にできます。

死を賛美したいわけでは全く持ってありません。ただ人は生物としての自己を自らを律することによって越えていくことができるのではないだろうかという可能性を示したいのです。

自分は作られているものではなくて、作り上げられていく、あるいは、作り上げていくものなのではないか。そうであれば、やはりすべての人が幸福を満たしつつ、だれも傷つけられない調和が、世界に訪れることは、希望として信じられると思うんです。

仮に誰かに勝つことがダーウィンの進化論のように生物にインプットされている本能なんだとしても、それを乗り越えて絶対の中に物事を決すことができたら。

きっと人に劣ることに苦しんだりすることはなくなり、自分の心地よさを求められる、そして、自分以外の心地よさも認められるんじゃないかな

茫漠と広がる思考の中を少しでも言葉にしたくて文章を書いてきました。この地では、人の幸福について考えさせられます。