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雨蛙の賦

台湾・嘉義インターンシップ日記

9. 40日目の憂鬱

思ったこと

こんにちは、ゆうです。

 

日付が変わって3/4に来台した私にとって40日が経過したことになりますね。最近あんまり夜すんなり寝られないので、少し今考えていることを書いていこうと思います。まとまりのない話になると思いますので、私個人に興味のある人以外は読む意味はあんまりないと思います。笑

 

最近はというと、SIMカードのリチャージのためのナンバーをなくし、ケータイを落として画面を割り、なぜかラインの友達が全員消えるというケータイ関係のトラブルに見舞われまくっています。笑 だれでしょうか、Androidは落としても割れないとか言ってた人は。Androidのケータイ(の多く)は落としても割れない、もしくは、Androidのケータイ(の一部は)落ちしても割れない、であることを考慮せず鵜呑みにした自分は浅はかです。笑 リチャージは店頭でしかできなくなり、画面も修理をするしかないでしょう。ラインの友達も今最後の悪あがきをしていますがおそらくどうにもならないでしょう。そんなこんなでどことなく憂鬱な気分の今日です。

 

こんなことはどうでもいいのですが言語のことも憂鬱の要因ですね。大学の第二外国語で少しだけ勉強しただけの中国語は全く人の言っていることは理解できませんし、英語すら英語の上手な人と話すと聞き取れない単語を何度も聞き直しています。仕事は日本語でできるからといっても、台湾にいるにも関わらず中国語ができないことは関われる人の数を制限し、親切な人に囲まれていても疎外を感じさせます

思えば私は中学校で初めて英語を習い始めたときに非常に英語が苦手でした。最初に習う数字のような簡単な綴りの単語でさえも何回書いても覚えられず(one, two までは行けてもthreeはもう無理だった)、100点満点のテストが24点だったときもありました。

加えて苦手なものに数学がありました。英語のほうは高校に入ると得意教科になったのですが、数学は相変わらず苦手でした。私の第一志望の大学の数学を5年分解いて1問も解けずに絶望したものでした。

今の中国語に対する悔しさは中学生のときの英語と、高校生のときの数学に感じたあの悔しさと一緒なんだなと気づきました

 

きっと私には言語学習の才能はないのでしょう。全く自分は中国語を理解し、話しているところが想像できません。職場で日本語で話している台湾人を見ているととても同じ人間と思えません。

しかし、かつて5年ほど前に私にとっての英語は同様の遥かな高みにあったのではないかと考えると、できないものと切り捨てることはやはりできません(英語ができるとは言ってない)。

 

何よりつまらない! 

 

どんな国に行ったってきっと指をさして、紙にかいて、なんとか生活することはできるんですよ。でもやっぱりそれだけじゃつまらないなあと感じるんです。

悶々としている自分は振り捨てて、行動を起こしていく時間こそ、今必要なんですね。台湾のアイセックのメンバーに中国語を教えてくれと頼もうと思った、ちょうどそのとき、彼から中国語を教えようかと申し出てくれました。笑 彼には日本語を教えることで見事win-winの関係が成立です。笑

やはりここであっても外部環境は人を変えるきっかけになるなあと感じます。しかしそれと同時に環境が変わっても外部要因の変化がなければ意味もないというのもまたそうだと思います。きっかけはきっかけとして自己意識の変化から行動の変化に結び付けていかなければいけません。

 

あと少しだけ。最近読んでいた石田ゆうすけさんの本でクアラルンプールでは異なる民族は異なる地域に住んでいると書かれていました。これは何で読んだか忘れましたが、多文化共生が進んでいるといわれるパリでは違う民族同士は関わらないということが多文化共生の形として受け止められている聞きました。私の行ったことのあるシンガポールは中国系、インド系の多く住む町、リトル・インディオ、リトル・チャイナを形成していたことも思い出します。

今、私が感じるこの疎外によって、私は異なる国で生まれ、異なる言語を使う人同士で関わることのむずかしさを感じます。しかも、それは必ずしも言語にだけに阻まれる壁ではないと思うのです。

世界中の人が国籍や言語の違いを感じずに入り混じって暮らす桃源郷のような世界は確かに美しいですが、理想の多文化共生の形とは何かを考えています。

 

予告通りぐちゃぐちゃな文章になっていますね。笑

45日目には思考をまとめて、今後の方針をある程度見通し良くしてみせましょう。

 

とりあえず今の憂鬱を多少言葉にしてこのあたりで。

では休日前の金曜日はりきっていきましょう!

 

 

8. 阿里山の桜

観光

こんにちは、ゆうです。

 

先日は昼ごはんの時間に同僚が辛い調味料を持っていたので、私の弁当の焼きそばの中にも入れてもらいました。1さじでいいのに2さじ入れられたのですが、激辛でした。あまりにも辛いものを食べていると痛さ以外の味を感じなくなり、最後は辛くても味を感じなくなります。

 

土曜日に行った阿里山の観光について書いていきたいと思います。阿里山桜の季節! 会社の人の話によると中国人観光客でごった返しているらしいと聞き、心して向かいました。

まず、簡単に阿里山について説明しておきましょう。省エネのためにWikipediaから。

 

阿里山国家風景区ありさんこっかふうけいく、阿里山國家風景區, 拼音: Ālǐshān guójiā fēngjǐng qū)とは、台湾嘉義県にある15の山々から成る国家風景区(国定公園)である。

最高峰は大塔山の2663m。面積は約32700ヘクタールで、その内1400ヘクタールが「阿里山国家森林遊楽区」に指定されており、日の出・夕霞・雲海・鉄道・神木の「五大奇観」が有名である。また、3・4月にはが満開となり「桜の名所」としても名高い。

Wikipedia 阿里山より)

 

日本でいう富士山のように台湾で山の観光地といえばこの阿里山です。(ちなみに台湾一高い山は3952mの玉山。日本統治時代は日本一高い山で新高山と呼ばれた。)

阿里山には嘉義からだと阿里山森林鉄道を使うルートとバスを使うルートの2つがあったのですが、土砂崩れによる復旧が終わっておらず、阿里山森林鉄道は嘉義~奮起湖間のみに運行となっております。鉄道を使って奮起湖からバスを使うルートもありますが、私は家から頂国六中というバス停が近いこともありバスを使いました。

 

9時にバス停に到着したバスに乗り込みました。ここから3時間ほど山道を登って標高2000mほどの阿里山駅まで行きます。バスの席は満員(桜の季節で観光客が多いので当たり前でしたね)だったので予約をしていなかった私は席がありませんでした。3時間立って山道を揺られていくのはさすがにしんどい! すっかり台湾にローカライズされた私は広く空いた床に座り込みました。笑 しかし油の多い台湾料理に胃を悪くしていた私に対して、山道の揺れと床からの振動は容赦なく襲い掛かります。軽く車酔いしてすごく途中で帰りたくなりましたが、途中でトイレ休憩が入りました。

なんともう下には雲海が! 床に座っていると上方しか見えず、空と木をずっと眺めてきた私にとって驚きでした。

 

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(道半ばにしてこの雲海。)

 

ここで一度休憩を挟めたことによって少し落ち着け、ここから先はひたすら目をつぶり車酔いに耐えます。ようやく到着した阿里山国家風景区の入口でバスを降りて、入場料を支払います。外国学生でも学生の証明ができれば150元で中に入ることができます。私は国際学生証を携帯していたので学生料金で入場できました。

 

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阿里山国家森林風景区の入口。ここでお金を支払う。)

 

入口から少し歩くと阿里山森林鉄道の阿里山駅があります。ここでちょうどきた鉄道に乗り込み、5分ほどの距離である沼平駅に向かいます。ここが阿里山の花見スポットになっています。花見目当ての観光客で狭い車内は満員です。人が多いうえに窓が低く外をしっかり眺めることはできずに駅に到着しました。

 

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 (電車に乗る人でこの行列!

 

駅を出て左に行くと食べ物屋が並んでいます。ここで私は朝から何も食べていなかったので腹ごしらえをします。お弁当などいろいろなものが並んでいますが、私は茹でたとうもろこしを食べました。日本では夏の風物詩のイメージが強いとうもろこしですが、暑い台湾では一年中食べられるのでしょうか。

腹ごしらえも済んだところでいよいよです! 駅を出て桜はどこかとみると...ありました。はっきり言うと満開は過ぎ、葉桜の風情も特に感じない桜がそこにありました。笑 大陸からの観光客も含めてにぎわう道を適当に歩くと、場所によってはきれいに咲いている桜もあります。やはりいろいろな品種の桜があるのでピークがずれているのでしょう。きれいに桜が咲いているところは写真撮影をしている人でごった返しております。

 

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(桜、桜、桜...こういったしっかり咲いている桜の周りにはたくさんの人が。)

 

桜は充分見たと思い、神木駅というもう一つの駅まで散歩に行くことにしました。ここに行く途中はまさに森林トレッキングという雰囲気です。整備された歩きやすい道にいくつかの見どころが点在しています。1時間ほど歩いてから沼平駅に帰って、再度阿里山駅へ。そして帰りのバスに乗ります。

 

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(三代木。朽ちた木から新しい木が生え、またその木が朽ち、新しい木が...というように形成されたのでしょう。)

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(こんなところにも人の生活がある。)

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(神木。本当に大きい。)

 

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阿里山森林鉄道。前、後ろ、中、過去。)

 

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(沼平駅。)

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阿里山駅。)

 

帰りのバスも混んでいて、バスの係員の人が中国で何を言っているか全くわからないこともあり、うまくバスに乗れず(帰りのバスは定員以上乗せてくれない)、2本分バスを逃してようやくのれました。このバスはどうやら事前に予約ができるようで桜の時期は予約をしたほうがよかったようです。

なんだかんだようやくにしてバスの乗り込むことができて、下山することができました。帰りのバスは”椅子”に座れたので快適に帰れましたが、車中で吐いている人もいたので酔いやすい方には酔い止めは必須でしょう。

 

はじめての阿里山は今度は人の多くない、いつもの阿里山を訪れたいと思わされました。笑 嘉義からバス一本でいけるこの山には休日に都会を離れて訪れるのにぴったりの場所でしょう。今度は阿里山森林鉄道で嘉義から南の九份との異名を持つ、奮起湖。そして奮起湖から阿里山駅。阿里山をトレッキングしてから一泊して、有名な祝山での日の出といった形で行きたいですね!笑 

 

また阿里山は日本で一番高い山であった玉山とも同じ山系に属すらしいです。この山にもいつか登ってみたいですね。

 

それではまた!

 

7. 1カ月がたって

思ったこと

こんにちは、ゆうです。

 

最近、電車やバスの床に座るのに抵抗感が全くなくなってきました。しかし、台湾人の中にも座る人と座らない人がいます。私は台湾人から見ても行儀の悪い奴と思われているのでしょうか。それでも3時間の移動を立ったままを通す気で私にはありません。

 

さて、台湾では土曜日から本日火曜日まで連休でした。清明節という休日で、お墓参りに行くのだそうです。ちょうど日本のお盆にあたります。

この期間を利用して嘉義の有名観光地「阿里山」と台湾南東部の都市「台東」に行って参りました。この移動時間が阿里山まで3時間、台東まで高雄乗り換えで2時間+3時間、というわけで床に座っての移動となったわけです。笑

たくさんのものを見てきたので旅行紀についてはまた後日書くことにして、1カ月を簡単にはなりますが、振り返っていきたいと思います。

 

・仕事について

今月の仕事は大きく分けると以下のようになります。

①出荷関係の書類作成

②営業のための情報収集

③日本語への翻訳・校正

日本語の話せる社員の方が何人かいることで仕事で困ることもそんなになく順調に仕事を行っております。最初の2週間は単調な仕事が延々と続く感覚がありましたが、徐々に自分で考えなくてはならない仕事が増えてきました。

仕事の中で思うのはどうもオペレーションが無駄が多いのではないかということです。まだ具体的にどこがとはいえるほどではありませんが、1年間の間に自分の力で改善できるところは職場の人に協力してもらって改善していきたいです。加えて、単純に商品知識や業界知識をつけるだけでは社員の方と同じで、そこではない角度から自分にしかできない、この会社で貢献できる方法考えるべきだと思い、考えていきたいと思います。

 

・生活について

まずは食について。嘉義の名物料理は鶏肉飯という七面鳥の肉のどんぶりのようなものなのですが、本当に異常なほど鶏肉飯のお店があり、私も3日に1度は食べています。私にはお店の味が違いがわからないのですが、嘉義生まれの方にはわかるらしいです。笑 台湾料理は味はとてもおいしいのですが、油が多くここ最近毎日胃が思い状態が続いております。笑

次に犬についてですが、餌を与えて懐柔すれば怖いものではありません。笑 暑い日中の彼らはぐったりしていてかわいいものですよ。笑

 

・旅行について

4連休で言った阿里山・台東をはじめ、1カ月間で様々なところを観光してきました。以前紹介した台南に新港・北港を除いて、嘉義市内や高雄港に行きました。ここでは簡単に阿里山・台東の写真を1、2枚ずつ紹介していきます。

 

阿里山

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阿里山は桜の季節。特に大陸の人でたくさんでした。)

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(標高2000mを超え雲海の上にある阿里山駅は天空都市のよう。)

 

■台東

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(よく言えば自然豊か、悪く言えば田舎な台東。台湾東部には平地のすぐそこに山脈がそびえる。)

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(台東で驚くのはその辺にふつうに牛がいること。)

 

・印象に残ったこと

最近とても印象に残っていることが2点ありますので、それについて書きます。

 

■台湾に確かにあったもの

台湾は70年ほど前まで日本でした。知識としてもっていたものを何度も何度も日本の痕跡を見ることで実感しています。特に一番印象的だったのが台東県の「鹿野」というところにある神社でした。嘉義にも神社がありますが、現在は建物だけで中は資料館になっています。ここ鹿野にある神社はもともと台座しか残っていなかったものを有志の手によって、日本の宮大工を呼んで再建されたものです。

鹿野の神社は台湾統治が始まったときに、移民としてこの地に来た人たちが自然神を祭ったものです。移住してきた人は主に東北地方から来ていたらしく、慣れない異国で、東北よりはるかに暑い地で、マラリアなどの病気に悩まされながら生きたきたのでしょう。その心のよりどころとして作られるのがこの神社です。(参照:『わたしの台湾・東海岸』 一青妙著)

再建されたこの神社を見た瞬間、本当に台湾が日本であった時代があり、この地に日本人がいたという事実それを長い年月を経て台湾人が再建したという事実が胸に迫ってきました。

同じ神社でも嘉義の神社は国家が作ったものです。司馬遼太郎さんが『国家的奇行』とまで呼んだ国家神道の押し付けでできたものではなく、ここに台湾人と一緒に暮らした日本人が作った神社、小さな小さな神社が今も守られているということに大変な、陳腐な言葉かもしれませんが、感動を覚えたのです。

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 (鹿野の神社。なぜか台湾のお寺の敷地内。)

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(嘉義の神社。現在嘉義についての資料館。)

 

同様にこの地に確かにあったものとしては先住民の存在です。台湾は多くの先住民の部族が棲む島に中国からの移民によってできあがった多民族国家です。台東で布農族という民族の文化の展示が行われている布農部落というところと台湾の文献がない古代の生物や人類についての展示を行っている国立台湾史前文化博物館というところを訪れました。

私は民俗学などに詳しいわけではありませんが、台湾先住民の文化を見ていると漢民族とは全くことなっており、明らかにポリネシア系の民族に近いように感じました。

 

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(布農部落でのショーの様子。)

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(博物館入口。中は広くしっかりみたら3時間はかかると思われる。)

 

台湾に確かにあった日本と多くの部族。それは今もあるのでしょうか。

住宅保存や文化展示という有形なものだけでなく、

今、台湾に生きる人自身にこの地に確かにあったものは、

今も溶け込んでいるのでしょうか。

また、私たち日本人はどうなのか。何が今の私たちをつくりあげてきたのか。

そんなことを考えました。

 

もう一点、台湾の人がとても幸せそう見える、ということも印象に残っており書きたいのですが長くなったのでまた後日に。

 

5時間電車の床に座り、そろそろパソコンの前に座るとお尻が痛くなってきたのでこのあたりで。笑

慣れてきたにつれていろいろなことを考える時間が減ってきたなと思いますので、しっかり考える時間を使って今週を過ごしていきます。

日本は新年度ですね。また新しい一年を充実して過ごしてください。

 

それではまた。

 

6. 新港・北港

観光

こんにちは、ゆうです。

 

帰宅時の犬との接し方もだいぶ慣れてきましたが、いまだに門を開けるときには緊張しています。今日は久しぶりの雨だったのでほとんど一日中家で過ごしていました。台湾では雨が降らず現在水不足らしいです。

 

今日は1週間前に観光してきた、「新港」と「北港」というかつて港であった2つの土地について書いていこうと思います。

新港・北港は嘉義からまっすぐ西に行ったところにあり、名前の通りかつてはそこが港でした。河口に砂がたまることで少しづつ海岸線が西に広がりつつあり、展望台から西側を眺めてもすでにまったく海岸線は見えません。私は会社の方に車で連れて行ってもらいましたが、嘉義駅からバスで行くことも可能です。

この場所は一応地球の歩き方にも掲載されていますが、嘉義からさらに遠方にあるということもあり、さすがに日本人の観光客は見かけませんでした。しかし、私個人の感想としてはどちらも一見の価値のある場所であると感じたので紹介していきます。

 

まずは新港の「板陶窯交趾剪黏工藝園區」から。この場所は陶器の破片で切り絵のように模様をつくる「板陶窯」という工芸についていろいろな展示が行われている地区になります。展示といってもふつうの人が暮らしている民家の壁や郵便ポストが板陶窯を用いて飾られていて風景に溶け込んでいます。付近には台湾糖業(台糖)がかつて砂糖の輸送のために使っていて線路跡があり、散歩できるようになっています。

台湾伝統の工芸品とかつての線路跡のあるこの町には田園が広がり、風が気持ちいいゆったりと時間の流れる町でした。

板陶窯は多くの日本の伝統工芸と同じように後継者不足に悩まさており、その活性化のために始めた試みが、今では人気の観光地となり多くの台湾人観光客が訪れる場所になったとのことです。

 

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(中に入っていないのでわかりませんが、おそらく板陶窯の工房。)

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(線路跡の散歩コース。)

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(線路跡を展望台から。奥に見える橋は昔は柵などがなく自由に入って記念撮影できたそうだが、今は立ち入り禁止。)

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(線路わきの駅は休憩所に。)

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(台糖がこの線路を利用していたのは日本統治時代。当時の建物と思われる日本風の駅舎。)

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(線路跡の散歩コースの一番奥にある板陶窯の大きな工芸品①。)

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(線路跡の散歩コースの一番奥にある板陶窯の大きな工芸品②。)

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(地図も板陶窯で作られている徹底ぶり。)

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(個性的な郵便ポスト。このようにふつうの民家にも工芸品が飾れている。)

次に北港の「媽祖」を祭る「朝天宮」とその門前町です。この朝天宮は台湾の媽祖信仰の総本山であるそうでとても立派なお寺です。この日は別の場所から来た媽祖が北港の媽祖の挨拶をするお祭りの日で音楽を流し、派手に爆竹を鳴らしながら神様をのせた車が宮の前にやってきていました。宮の前では神様が踊り(?)、多くの人が見物していました。台湾の人が旧暦の3月末に行われる媽祖の誕生日の日のお祭りは人が多すぎてこんな近くまでは入れないと言っていました。

宮の前は老街となっていて昔ながらの街並みに多くのお店が並んでいます。お祭りの日であるためこちらもかなりにぎわっていました。この町は朝天宮を中心にした昔ながらの街並みが残る町で、今でも台湾人の信仰を集める媽祖の宮に多くの台湾人が集まっています。

 

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(見物客ににぎわう朝天宮前。混んでいて中には入っていない。)

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(踊る神様。見物人が手を触るのは何かご利益があるのでしょう。)

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(このような形で神様や楽器を運んだ行列が町を行く。)

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(朝天宮の前の北港の街並み。)

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(揚げパンのような朝ごはん、ラオ(米編に老)を売る店。このように昔ながらのお店が並ぶ。)

 

どちらも形は違えど伝統と日常が溶け込む2つの町は、日本人観光客が多く訪れる台北や九份に負けない魅力を持つ町でした。ここをよく訪れて散歩するという私の会社の担当者の方のご夫妻のお話を聞きながら、さぞ幸せな生活なのではないかと思った新港・北港でした。日本人の方もメインの観光場所からは離れていますが、ぜひ嘉義に宿泊してこの地を訪れてみてほしいと思います

5. 犬と小さな子供、そして、言語と非言語

思ったこと

こんにちは、ゆうです。

 

台湾人はめちゃくちゃ残業します。しっかり残業代はでているのか、あるいは、サービス残業なのか、気になるところです。こんなに働くのは日本人だけかと思っていましたで少しびっくりしています。

 

それでは、今回は前回の記事で少し書いた「コミュニケーション」について書いていきます。

 

子供好きには悪い人はいない。

 

突然ですが、みなさん一度はこの言葉を耳にしたり、目にしたことがあるのではないでしょうか。なんとなく感覚的に当たっている気もしますが、よく考えると子供好きと善人の論理的なつながりは読み取れません。この言葉について少し考えてみましょう。

 

さて、前回書いた通り私は子供が苦手です。私には弟や妹がいない上に、親戚付き合いの薄い家族だったので、年下の親戚に接した経験がほとんどありません。そのためもあってか小さい子供と接するとどうしていいのかわからず途方に暮れてしまいます。

同様に苦手なものに犬があります。これも小学生のときに友達の家でミニチュアダックスフンドに追いかけ回されて以来、犬には意識的に近づかないようにしてきたので今でも犬が苦手です。

 

そこで、なぜ私が小さい子供や犬と接するのが苦手なのかと考えてみました。そこには共通点があって、「言語が通じない」ことが理由であると思いました。小さい子供(特に赤ちゃん)と犬とはもちろん会話することができません。

つまり。私たちは彼らと関わるときに非言語コミュニケーションを取っていると思うのです。(一般的に使われている非言語コミュニケーションとは意味が少し違うのかもしれません。)

 

ということは、これは同じ言語で話すことができない外国人とのコミュニケーションにおいての場合にも適用できるのではないか。私が今まで接してきた外国の方の中には、あまり日本語ができないのにすごく積極的に上手にコミュニケーションがとれる人がいました。きっとこの人は非言語コミュニケーション能力が優れているといえるのではないだろうかと思うのです。

 

そう思って冒頭の「子供好きには悪い人はいない。」に立ち返ります。この言葉が意味していることは、子供好きの人は、言語を用いないコミュケーション(用いることができないコミュケーション)においても相手の警戒心を解くことができる、ここでいう非言語コミュニケーション能力に優れているということを意味しているのではないかと思ったのです。

 

非言語コミュニケーション能力に欠けていると思われる私の場合で、今度は言語を伴うコミュケーションについて考えていきましょう

私はいわゆるコミュ障の類だと思います。すぐに初対面の人と打ち解けられるわけではありません。しかし、なれてきたらふつうに話すことができます。これもコミュニケーションの初期の段階では、非言語コミュニケーション能力の必要性があることを意味していると思います。

では、言語が通じる人間同士では一度打ち解ければこの非言語コミュニケーション能力は必要はないのかと考えると、そんなことはないのではないかと思うのです。

私は経験として、よく自分としては絶対に正しいと思っていることを感情的に否定されたり、意見の言い方がきついと言われたりします。これはコミュニケーションの場に言語コミュニケーション能力と非言語コミュニケーション能力の双方が必要なことを示唆しています。

 

これからの社会では日本人同士だけでなく異なる国籍の人と日本語以外の言語を使って一緒に仕事をする機会も増えてくると思います。お互いに英語が母国語でなく不得手な中でコミュニケーションをとらざるを得ない場合もたくさんあるでしょう。

その中で、言語が通じない小さな子供や犬を警戒させることなく仲良くなるできるという能力、非言語コミュニケーション能力を持つ人は関わる相手の警戒心を最初から解いて言語コミュニケーションに移れる力を持っている人を言い換えることができるのではないかと思うのです。

 

少し突飛な話のような気がするでしょうか。みなさんの意見も聞きたいところです。

私は2週間を台湾で過ごすうちに中国語が話せず、英語にも自信が持てないと自分にはコミュニケーションを取る術を持たないということに気づきました。私にはこのことと小さな子供と犬と言語を介さずに接することとの共通点がやはりあるように思えるのです。

そういうわけで、語学力を鍛えるのはもちろん、”非”語学力も鍛えていきたいと思ったのです。

 

今日は「コミュニケーション」について考えたことを書いていきました。そろそろ深夜となりますのでここまでで。

WBC日本代表は頂点に立てるのか。私は仕事で見られず非常に残念ですが、仕事が終わって結果を知るのを楽しみにしつつ、今週も仕事を頑張っていきます。

では、おやすみなさい!

 

 

4. 2週間が経って

思ったこと

こんにちは、ゆうです。

 

早くも台湾に来てから2週間が経ちました。この2週間では、ノロウイルスにやられたりしましたが、元気に過ごしております。笑

2週間は本当にあっという間に過ぎていきました。これでは6週間や2カ月のプログラムでは何もできないまま終わってしまうのではないかなと思いました。しかし、たった2週間でも気づきはあるもので、特に3点について書いていきたいと思います。

 

①会社のこと

会社ではこの1週間は主に、日本語文章の校正・会社製品の勉強をしていました。日本語の文章の校正は、会社のカタログなどの文章を自然な日本語になるように英語のものを見ながら直していく仕事です。そして余った時間が製品の勉強で、会社のカタログと他の会社のカタログを見比べながら、自分の会社がどのような製品が作れて、日本ではどのようなものがよくつかわれているのかをひたすらインプットしています。

最初の1週間はこんなことでお金をもらっていいのかと自問自答していましたが、今週は少しは日本人である自分がいる価値を感じることができました。

まだ自分には知識も経験も足りていないので、とりあえず製品の知識をしっかりつけて、できる仕事はきっちりとこなしていくということでしか前には進めません。1年間をかけて、会社に自分を1年間雇ってもらっただけの価値があると感じてもらえるようにこれからもがんばります。

 

②自分の変化について

知らないということは恐怖を喚起するものだと思います。「犬」と「小さい子供」は私が知らないことで恐怖していたものの代表格です。笑

しかし、わが社の前には4匹の犬がおり、犬から逃れることはできません。また、会社の担当者の方には1歳の娘さんがいます。どちらも最初は相変わらず怖かったものですが、最近はどうも慣れてきたようです。このことから「非言語コミュニケーション」と「言語コミュニケーション」について考えたりもしましたが、このことはまた別の機会に。

こうしてみると、人間は変わろうと思えば変われるし、異なる環境に赴くことは人は変われるものだと(この変化の程度は小さいかもしれないけど)思いました。同様に外国の人と話すとどうも緊張してしまうということも知らない恐怖に縛られているなと思うので、ここも自分を変えてく必要を感じます。

 

③嘉義周辺について

今日は会社の方に連れて行ってもらって、「北港」と「新港」という場所に行きました。(このことも今度書きます。必ず...)本当に素敵なところです。日本ではほとんど情報がなく、知らなかった場所ですが(地球の歩き方には2ページ掲載)、ほんとうにすきになりました。とってものんびりしていて心が安らぐところです。もっともっといろいろなところに行って、日本人が知らない魅力を発見していけたらと思います。

 

以上簡単に振り返りました。以上を踏まえて3月の残りの目標はざっくりと、

①犬と仲良くなる

②中国語を少しでも話せるようになる

③社員の名前を全員覚える

④製品知識を身に着ける

としていきます。

 

それではみなさん良い日曜日を。

最後に今日の写真を1枚だけ。(後日しっかりと記事を書くので。

 

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(これは絵ではなくすべて陶器でできています。これは台湾の伝統文化で板陶窯というもので、このような陶器でできた装飾が新港にはたくさんあります。)

3. ボイスメッセージが大好きな中国人

思ったこと

こんにちは、ゆうです。

 

今日はしっかり一日中仕事をしていました。笑

先週まで日本にいた、私のインターンシップの担当の社員のかたに日本は寒かったかと聞くと、夜は5℃くらいであったとのこと。やはり徐々に春に近づいているのだなと思った一方、ここは台湾・嘉義。

北回帰線の真上に位置し、熱帯と温帯を隔てるこの地では日中30℃の暑さです。(明日は涼しいらしいけど。)台湾暑いです。これは台湾の巷にお茶スタンドがあふれかえる意味がよくわかります。(お茶についてはまたいつか書きます。)

 

さて、今日は、私が半年前に上海に旅行して以来謎であった、「電車の中でも中国人は延々と電話とボイスメッセージでしゃべり続けているのはなぜか」という疑問に対して有力そうな解が得られたので、そのことについて書きます。

そもそも中国人には電車の中で電話してはいけないという文化はないらしく(台湾でも一応やめるように放送はあるけどあまりそういう文化はないらしい)、電話している人も周りの人も気にしないという背景はあります。

それにしても、文字で書くよりボイスメッセージを好むはなぜなのかという疑問は私には残りました。今日前述の私の担当者(大学では日本語を専攻、かなり上手に日本語を操る)にそのことを話すと、中国語はかなり合理的な言葉だから書くよりも話したほうが早いのだろうと言っていました(台湾人は書くほうが好きなそうですが)。

なるほど! 確かに第二外国語で習った中国語は非常に文法が単純な上に、中国語を話している中国人はよどみなく早口で話しているように見えます。

 

ここで一つ私は長い間の謎であった、「電車の中でも中国人は延々と電話とボイスチャットでしゃべり続けているのはなぜか」という疑問をひとまず納得した形で処理することができました。

 

しかし、もう1つの疑問が私の中に浮上してきました。少し考えると、「同じハイコンテクストな民族といわれる日本人と中国人であるのに、一方はひどく複雑な言語を使用し、もう一方はひどく簡便な言語を使用するのはなぜか」という疑問に行き当たります。

(ここからは正直生半可な知識で論を進めていくので、私の主観的な意見としてお読みください。)

 

ハイコンテクストとは何かというと、コミュケーションの際に共有しているものが多く、言語を解せずに察することが重視されるということです。

より正確にはWeblioからコピペをば。

文化人類学者E・Hホール理論における文化区分一つで、コミュニケーションに際して共有されている体験感覚価値観などが多く、「以心伝心」で意思伝達が行われる傾向が強い文化のこと。一般的に日本の文化は「空気を読む」ことや「状況察する」ことが重視されることから、ハイコンテクスト文化であるといわれる。ハイコンテクスト文化に対して言語による意思伝達対す依存の強い文化ローコンテクスト文化と言う

Weblio辞書 実用日本語表現辞典より)

 

日本人である私たちは普段から「空気を読む」ということを非常に重視していますよね? 「空気が読めない」人は時にはコミュニティからつまはじきにされてしまうわけです。

これは私たちが普段使う、この日本語の特徴にも非常に合致していると私は思うんです。例えば「てにをは」。会社で台湾人の人が書いた文章を見てるとこの助詞の使い方は非常にくせもののようで、日本語として自然な文章が書けていません。

こんなややこしいものは例えば、英語には存在しないわけです。「これがいい」も「これはいい」も「これでいい」も、「This is good.」です。

 

他にも日本語はとても表現技法が多い言語だと思います。少し日本語と英語を比較してみます、「散歩」とかどうでしょうか。ここでも英語はWeblioを利用すると。

さんぽ 散歩

散歩する

take a walk [stroll, turn]

stroll

【形式ばった表現】 take the air

遠くへ散歩に出る

take [go for] a long walk

go walking.

Weblio辞書 研究社 新和英中辞典での「散歩」の英訳より)

 

要は「散歩」=「Walk」です。しかし、日本語の場合例えば、「そぞろ歩く」。「散歩する」よりさらにあてどなく、気楽に歩く様子を感じられます。あるいは「漫歩する」。この言葉も「散歩する」より非常にのんびりとした雰囲気を感じます。

こんな言語表現はローコンテクスト(言語の意味を伝えることが重要である)な言語である英語にはないのではないかと思えるのです。それに対してハイコンテクスト(ニュアンスを伝えることが大事)な言語である日本語にはこのような言語表現があるのだと思うのです。

 

この辺でみなさん、「じゃあ、中国語はどやねん」と思われることだと思うので中国について。これが不思議なことに同じハイコンテクストな民族だといわれる大陸中国の中国語にはこのような玄妙な言葉遣いは感じず、会社の方の言う通り合理的な言語だと感じるのです

この違いはどこから生じているのか? 一つすぐに考えられるのは、今の中華人民共和国が成立してから、「普通话」つまり標準語として言語が丸められていく、つまり言語表現が単純化されていく過程で、日本語のような言語表現が失われていった、ということです。

この仮説のもとで言うと、もしかしたら共産党ハイコンテクストな言語からローコンテクストな言語を作り出すことによって、中国に暮らす人そのものを以前よりローコンテクストに変えたのではないかという見方もできるわけです。

 

以上、述べてきたことはなんの学問的なバックグラウンドもない私が思いつきで書いてきたものです。さらにここ台湾で生活し、中国語にも台湾語にも触れるなかでまた考え方は変わっていくことでしょう。また、勉強を行うことによってより合理的な仮説を作れることと思います。

 

ただ私が今強く実感したのは、言語(あるいは文学)を知り考察することによってその地で暮らす人の感情や考え方が深く見えてくるのでないかということです。

そこに言語学習や文学研究の大いなる価値はあるように思えるのです。

 

余談になりますが、私は自分の思っている思考や感情がほとんどそのままの形でつむげるこの言葉が、とっても好きです。言葉が変わるから人が変わるのか、人が変わるから言葉が変わるのか。50年先も100年先も私の好きなこの言葉が、形を変えながらも素敵な言葉であり続けてほしいと、ここ台湾の地で願うのです

 

今日思ったことをすぐに言葉にしたくて、まとまりのない文章になったかもしれません。最後まで読んでくれた人には感謝いたします。

それではおやすみなさい。